機械工学科OB三佛寺アドベンチャー
「三佛寺に参拝しました」
卒業生の皆様、ご無沙汰しています。
紅葉の季節になりましたが、一向に新型コロナウイルス収束の兆しが見えないまま、悶々としていましたが、様々な規制が緩和されたのに伴い、「やってみたかったアドベンチャー」に挑みましたのでお時間ございましたらご笑読ください。
「三徳山 三佛寺 投入堂」(サントクサン サンブツジ ナゲイレドウ)はご存じでしょうか。約1200年の歴史を有する「役小角」(エンノオヅネ 修験道の開祖)が開いた鳥取県にある天台宗のお寺です。日本遺産第一号に登録され「日本一危険なところにあるお寺」として何度もTV等で放映されています。参拝前にTwitter等を観て「わぁ~大変なところだ」「でも、心配するほどでも」と「高を括っていました」が、「死ぬほどとは言いませんが、リピーターにはなりたくない」とするのが感想です。
帰宅数日後のヤフーに「三徳山三佛寺登山道で、40歳代男性が滑落・尾てい骨骨折・ヘリコプターで救助」とのニュースが載っていました。現地で聞いた話ですが、年間に10人程度は滑落・ヘリコプターが出動、過去には滑落死する人もいたそうです。娘に話をすると「単に運が良かっただけや、もう危ない事は止めておとなしくして、年なんやから!」とお灸をすえられました。
皆さん、是非話のネタに体験して下さいと言いたいのですが、前期高齢者以上は十分に気を付けて、70歳以上は日常的に運動されている方以外はお勧めしません。目安は、うつ伏せ状態から立ち上がってフラツカナイ、道路の白線をヨロケズに歩ける事です。
9月9日の夜に、同年代で昔の仕事仲間と鳥取市内のビジネスホテルで落ち合い、酒と魚で旧交を温め翌朝に備えました。「さあ行くぞ」という意気揚々ではなくごく普通に、フロントで「今日、三佛寺に行く」と言ったら、女性から「登山ですか?気を付けて下さい」といわれ「いやいや、登山とちゃうねん参拝や」と返事したのですが、朝からどうもかみ合わない何かを感じていました。おそらく彼女らは、参拝やなんて気楽に考えていたら「えらい目に合うで」とニヤニヤ(失礼、心配を)していたのではと……。
標高約900mの三徳山中腹(標高約500m)の断崖絶壁にある岩窟に国宝「投入堂」が建てられています。こんな足場のない・行く手だてもない場所に、どの様にして建立したのか不思議でなりません。役小角が法力で投げ入れたとされていますが、建築方法はいまだ解明されていないとの事です。又、投入堂の他に多数の国宝・重要文化財の建造物が点在しています。
入峰修業受付所から高低差約160m・歩行距離往復約3㎞と、これだけ見ると大した山ではないと思われるでしょうが、とても観光気分では登れない厳しい「修行の道」でした。早い人(登山経験者・若い人)で往復1時間半程度、景色を楽しみながらで2~3時間の行程です。ちなみに自分達は、途中若干のアクシデントがあり2時間半弱でした。
入山事務所で、スカートの様な服装は不可、靴は登山靴でスニーカーは底の凹凸が十分にあるものと厳しくチェックを受けました。特に靴に関しては、裏底を確認されました。自分は登山靴でしたが、参拝者で「わらじ」(1000円)を購入した人がいました。もっとも草鞋は、足の裏全体が地面をとらえ、安定し滑らなくとても歩き易くベストはとび職の使う地下足袋との話でした。他、2人ペアが条件(事故対応)で、軍手(出来ればイボ付)が必要です。
記名と入山時刻の記入を済ませ、「六根清浄」と記された輪袈裟(ワゲサ)の貸与を受け参拝開始です。結界からしばらくは普通の山道でしたが、先ず現れたのが「カズラ坂」で5mくらいの急斜面を木の根に足をかけ・木の根を両手で掴む両手両足を駆使、勿論命綱はなく、自らを頼りに必死で登りました。まだまだ序の口で、次に岩場が表れ先人が残してくれた足跡に足をかけ、まるで垂直の壁を両手両足で登るオリンピック競技「ボルダリング」の様でした。足跡のあるのはありがたいのですが、結構スパンが長く、短足の自分は足をかけるのにも両手でメタボの体を引き上げなければならず苦労の連続でした。
やっとの思いで、国の重要文化財である「文殊堂」の下までやって来ました。見上げるとゴツゴツした斜面の岩場が続き、足場に気を付けながら登り、もう少しでという先に更なる難所「鎖坂」が現れました。文殊堂が乗っかっている大きな岩の急角度の斜面に一本の太い鎖が設置されており、鎖を引き寄せながら岩面を一歩々々登って行きました。隣に下り専用の鎖があり、下山の人はレスキュー隊がビルの壁を降りる際にザイルを引っ張り壁と直角になる形で下っていました。
文殊堂は晴天時には日本海までが見渡せる360度の絶景で、約600㎜幅の手摺のない周り廊下が設置されていました。バックパックを下ろして巡ったのですが、廊下自体が外側に傾斜しており(水勾配)足を滑らせたら、谷底にまっしぐらです。廊下の先端に足を投げ出して座る人がいるようですが、とてもそんな真似は出来ませんでした。お堂の壁に背中を密着させ・靴下も脱ぎ足を突っ張りながらソロリソロリと一周、足がすくみながらも素晴らしい大パノラマを満喫しました。文殊堂を過ぎると少し先に同じような造りの「地蔵堂」があり、こちらのパノラマも絶景でした。
この二つのお堂を過ぎると最後且つ最大の難所「馬の背」と「牛の背」が待ち構えています。共に踏み外せば滑落、木々がありますので谷底へという事はないと思いますが、ヘリコプターのご厄介になり、大怪我を負う事間違いなしです。馬の背は幅300㎜ぐらいの岩場の尾根道で、片側に切り立った岩の壁がある事から岩面にへばりつきながら「蟹歩き」をしました。馬の背中は少し平らになっていますが、その先の牛の背は背骨が飛び出した蒲鉾の様な形をしており、そして両側には手をつく物がなく、自らのバランスを頼りに急ぐ気持ちを抑えてユックリと10m強、ここで何人かの人は落ちるのだろうと思いながら進みました。余談になりますが、以前大峰山の「西の覗き岩」を経験しましたが(絶壁の上から修験者の支える命綱一本で谷底を覗く修業)、恐怖という点では三徳山が上です。
牛の背を過ぎると、「納経堂」と「観音堂」があり納経堂の裏側には「胎内くぐり」が設けられています。さらに進むと、断崖絶壁の洞穴に納まっている投入堂が眼前に現れました。平安時代後期の建築で、長い柱で床を支える懸崖(けんがい)造りというそうです。
「すごい」という以外の言葉が浮かばず、写真家・土門拳さんは「日本第一の建築」と称されたそうです。
下山は登りと同じルートですが、過去の事故のほとんどが下山時の様です。急斜面では前向きに立つ事はとても無理、又、足を滑らせたら大怪我をしそうで、どちらかといえば腹ばいで慎重に気を緩めずに下りました。難易度・所用時間・体力の消耗度合いは、登りと変わりませんでした。
入峰修行受付所に戻って輪袈裟を返却・下山時刻を記し、本堂横に用意されていいた三徳山名物の十薬茶(どくだみ茶)を何杯もおかわりして「無事帰還」を実感いたしました。
自分は四苦八苦の山登りでしたが、相棒は山登・ロッククライミングの経験者で平気な顔をして「もう一度行く?」といった感じでした。
実は無事で帰っては来た様ですが、ほぼ最終の岩場で油断と面倒なのが重なって、仰向けでお尻を擦りながら下山した際に足が届かず「ズル」と滑り落ち、着地したと同時に横から出ていた岩と側頭部が接触しました。打った訳ではなく擦り傷程度でしたが、出血がありハンカチをあて帽子で押さえる事で大事に至りませんでした。相棒の世話になり「感謝しろ」といわれましたが、「アンタを連れて来た自分の選択が正解」と憎まれ口をたたき、帰りのパーキングでとんかつ定食をおごって「全てチャラ」にしました。いい友に、恵まれています。
長々となりましたが自分の下手な文書ではとても「臨場感」を伝える事は難しく、「三徳山 三佛寺 投入堂」で検索していただくと、数多くの紀行・Twitter・動画等がありますので興味のある方はぜひご覧下さい。