元生産加工システム研究室担当 喜田義宏
 早いもので大阪工業大学に移りすでに17年が過ぎました。 工業大学就任の挨拶を書いたのがつい昨日のように思えます。でもそれは1991年4月でありました。当時の一号館は現在の新しいものとは雲泥の差があり、私の研究室は旧1号館の古びた部屋からスタート致しました。でもそこは歴代の研究者が使用してきた重みを感じられる厳粛さがありました。 加工関係の研究設備は何もなく、企業から拝借した工作機械を持ち込んで研究のスタートを切りました。工学において日進月歩は当たり前で、当時は重厚長大から付加価値の高めた軽薄短小を求める気風がありました。授業では機械加工を担当していましたので、一本の丸棒を作っても数百円のものから数十万円のものまであるが、そのような違いを生み出すのは何だろうかとの問いかけから始めたものでした。産業革命以降次々に新しい工作機械が開発され、高精度高能率加工の概念が打ち立てられてきた過程を語り、その精神は人類がこの世に存続し、物造りが続く限り不滅であると述べてきました。 工学は何のためにあるか、その目標は何であろうかと熱く述べてきたのが懐かしくおもいだされます。物造りにおいて、もう一つ強調したのがコスト概念です。 同じ性能のものを作るなら、できるだけ安く作ることが大切で、どんないいものでもコストが高ければ受けいれてくれないものだと強調してきました。

私自身の研究も若かりし頃は基礎的研究を主体とし、年とともに応用開発研究へとスタイルを変えていきました。基礎研究では砥粒のように大きな負のすくい角を持つ工具でなぜ微細な切りくずを生成するのだろうかとの疑問を追及し、力学的、材料学的観点から解析を進めました。その後私の研究に興味を持ち、さらに発展させて東京工業大で博士の学位を取得された若き研究者が生まれたことは大変嬉しかった思い出です。 応用研究では難加工材に複合エネルギーを適用した新しい加工法の研究や困難とされた三次元形状の高精度高能率加工法の研究をしました。中でもグラインデイグセンターの開発が加工の歴史に記述されたのも嬉しい限りでした。 定年を控えた現役最後の年にも、研究報告を見たという複数の企業からの研究依頼を寄せられました。そんな時も多忙な企業では到底できない研究を大学とタイアップして進める産学協同の重要性を痛感したものです。私にとりまして人生の第2ステージである大学生活は、ドイツ、イギリス2年間の留学時代を含め40年にわたりますが、我が人生にとって悔い無しでありました。これもひとえに皆様のおかげと感謝しております。 どうぞ卒業生の皆様もお体に気をつけご活躍下さい。そして役立つことでは大学を大いにご活用され、ともに今後の発展に結び付けられたらと願っております。