機械工学科教授 小池 勝
私はこの4月に明石高専から転任しました。1979年に三菱自動車に入社し、乗用車の開発に従事してきました。空調、空力の研究開発を主に担当しました。「空力」には空気抵抗、揚力、空力騒音、横風安定性、汚れ付着など様々な問題がありますが、中でも空力騒音について基礎から市販車への応用まで研究開発を行ってきました。空力騒音は車体周りの風の流れによる騒音ですが、そのメカニズムや数値シミュレーションの方法はまだ確立されていません。空力騒音は車だけの問題ではなく、航空機では離着陸においてエンジンやランディングギアから発生する騒音や、巡航状態での客室内での境界層騒音として課題となっています。また新幹線のパンタグラフや車両の継ぎ目などでも空力騒音が発生し、住宅街ではその騒音レベルが最高速を制限しています。これら車以外の専門家と学会等で議論しました。三菱自動車ではまた車体の剛性や振動騒音などの研究にも従事しました。
一方、模型飛行機を趣味として、小学生のころから取り組んできました。小学生のころは竹ひごの主尾翼、ヒノキ棒の胴体、ゴム動力のライトプレーンを作り、自己流で飛ばして遊んでいました。中学高校ではUコンのエンジン機、ラジコンのエンジン機を飛ばしました。そのころモータ電池を動力とした模型飛行機は市販されていましたが、重くてパワーが小さく、とても飛ぶレベルではありませんでした。現在の電動飛行機とは雲泥の差があります。高校生のときにはホバークラフトを製作し文化祭で実演しました。1970年代初めに大学生になってラジコンのパイロンレースやUコンのスピード機も手掛けました。Uコン機は万博の駐車場で大勢飛ばており、そのころUコンの曲技飛行で有名な佐々木正司さんもいましたが、恐れ多くて話したことはありませんでした。佐々木正司さんは現在本校の航空部や人力機を指導されており、これから連携して人力機を強化していくところです。

また大学生のとき大阪の長居公園でフリーフライトのゴム動力機に出会い、カルチャーショックを受けたのが、その後の人生を大きく変えました。小学生のころ自己流でライトプレーンを飛ばしていた時には、まっすぐ飛んで、プロペラがゴム動力で回っている間飛んでいれば良いと思っていましたが、長居公園で見たゴム動力機は水平から70℃ぐらい上を向けて発航され、螺旋を描いて上昇し、徐々に角度が減少し、ゴムが巻き戻るまで上昇を続け、高度60mぐらいまで達しました。さらに驚いたのはゴムが巻き戻るとプロペラが折りたたまれ、グライダーにように角度の浅い滑空に移ることでした。その間操縦はしていません。あらかじめプログラムしたように自律して飛ぶのです。いうなれば電子制御なしの飛行ロボットです。それ以来私はゴム動力の模型飛行機に取りつかれて今日に至っています。フリーフライト機はポピュラーなラジコン曲技機と違い、空力性能を極限まで追求し、競技会で競い合いますから、翼型などが洗練されています。優れた翼型は薄く、平面形は横に細長いので、薄くて高剛性、軽量な翼構造、その製作技術が追求されています。この技術を人力機に生かそうと考えています。

またJAXA(宇宙航空研究開発機構)を中心に火星に無人航空機を送り込んで、飛行探査をしようという計画が浮上し、現在ワーキンググループの一員として参加しています。小型低速での最適な翼型や主翼の折りたたみ機構などを提案し、議論しています。